10/05/30 08:37:37 mQqipSP1
ちなみにアメリカがフィリピンを植民地にした経緯(前にフィリピン関係でレスしたコピペ)
アメリカは1935年にフィリピンにコモンウェルス政府(独立準備政府)を発足させ、
10年後の独立を約束していた。
この事実をもって反日左翼は「既にアメリカは独立を約束していたので
日本の後押しでの独立は全くの余計なお世話」とし
1943年10月のホセ・ラウレルを大統領とするフィリピン共和国を認めようとしない。
では何故「アメリカから独立を認めてもらう」というのを蹴ってフィリピン共和国が誕生したのだろうか?
まずコモンウェルス政府のケソン初代大統領とルーズベルト大統領の間で経済の独立は
1960年まで先送りになる事が決まっていた事。
そしてこれが重要なのだが一度アメリカは独立の約束を破っていたのである。
1898年米西戦争の際、フィリピンの独立運動家は「支配者であるスペインと戦い米国に協力すれば独立を支援
する」という約束をアメリカから取り付けていた。
しかしアメリカは米西戦争に勝利した後、パリ条約でスペインから2000万ドルでフィリピンを買い取り
植民地にしてしまったのである。そして
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例えば米国がフィリピンを植民地にしたときは、独立を叫ぶフィリピン人を皆殺しにした。
それもただ殺すのではない。捕虜の尋問では魔女裁判を真似て「泥水を五ガロン飲ませ、膨れた腹の上に
米兵が飛び下りた。彼は口から六フィートも水を噴き上げて死んだ」(米上院公聴会の証言)
サマール島の民が米兵を殺すと「報復にその島と隣のレイテ島の住民すべてを殺した」
「三年かけて二十万人を殺した頃やっと島民の抵抗がやんだ」(同)
週刊新潮 コラム「変見自在」 高山正之
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確かにアメリカに従い抗日したフィリピン人もいた。しかし「アメリカから独立を認めてもらう」
という事を否定したフィリピン人もいた、という事実を確認してもらえただろうか?