11/01/30 23:32:30
歌謡曲だけが本物なのだ。
歌謡曲以外のすべての邦楽は、世界のトップミュージックを排してまで
聴く価値がほとんどないからだ。
例えば1968年の島倉千代子「愛のさざなみ」を聴いて衝撃を受けない
リスナーは自らの音楽的な不感症を深く反省しなくてはならない。
このヒット曲はthe associationの「チェリッシュ」など(日本流に言うところの)
ソフトロックの影響下に作られた名曲だが、他国のソフトロック系ポップスと違って
「愛のさざなみ」の異様な和洋折衷はもはや一つの音楽ジャンルと化している。
歌謡曲の独自性のひとつに「振付」というのものもある。
音楽の振付自体はビッグバンドの時代から黒人音楽では付き物であるし、
歌謡曲の振付も、その源流を辿れば、おそらくシュープリームスの
「Stop! In the Name of Love」あたりに行き当たるのだろうが、
歌謡曲の振付の本質はその振付の「意味の喪失性」にあると言える。
これは映画監督・金子修介氏の「失われた歌謡曲」という名著でも
述べれらていたが、つまり楽曲の内容とまったく無関係な振付が
単なる一つの「型」として提示されることで、表現に拡がり、あるいは
エロティックな趣が醸出されるということである。
(さらに続く)