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>>518
公式より
【北村泰一さん インタビュー】
Q、当時の日本において、南極観測に行くことの意味は?
当時の日本は、“戦後10年” とはいえ、戦争の爪痕が残り、復興への道筋も定まっていませんでした。
お金もなく、「 敗戦国 」 というレッテルを貼られていた。そんな状況ですから、
「 日本が “南極観測” に参加するなんてあり得ない 」 と、戦勝国から罵られました。
しかし、そのような状況でも、「 日本は参加できます!」 と断言し、“南極観測” に参加したのです。
そこで世界から割り当てられたのは、Inaccessible (インアクセサブル)=接近不可能といわれている
場所でした。ノルウェーが行ってもダメ、アメリカが行ってもダメ。
それをね、日本はボロボロの船だった 「 宗谷 」 を改造して南極までたどり着き、
昭和基地を建て越冬しました。誰も想像していなかったことを成し遂げたんです。
Q 「 南極観測 」 へのきっかけは、“子供たちからの募金” と伺いましたが…。
その通りです。当時は、日本中の人々が 「 何かやりたい 」 と思っていました。けれど、
日本は戦争に負け、世界は遥か上を行っていた。追いつくことなんて出来ないと思っていた。
そんな中、子供たちがね、“南極観測へ行って欲しい”、“お小遣いを5円、10円を寄付したい”
と立ち上がってくれたんです。衣糧も満足にあるわけではなく、子供たちにとっては
ご飯の時間が待ち遠しい状態だった。けれど、“南極” に夢をいだいたんですね。
ハングリー精神というのかな?子供たちがきっかけで、政府も、企業も動いてくれました
URLリンク(www.tbs.co.jp)