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奈良時代から平安初期にかけて、天皇(その称号自体が諡である)・后妃・皇太子の諡号には和風と漢風が併用され、例えば43代元明天皇は漢風諡号を元明天皇、和風諡号を「日本根子天津御代豊國成姫」(やまとねこあまつみしろとよくになりひめ)天皇といった。
現在は全ての天皇を、漢風諡号または追号を用いて「某天皇」と呼んでいるが、明治3年(1870年)以前は63代冷泉天皇から118代後桃園天皇まで(81代安徳天皇と96代後醍醐天皇を除く)は「某天皇」とは呼ばず、「某院」と称していた。
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明治3年(1870年)以前は63代冷泉天皇から118代後桃園天皇まで(81代安徳天皇と96代後醍醐天皇を除く)は「某天皇」とは呼ばず、「某院」と称していた。
明治3年(1870年)以前は63代冷泉天皇から118代後桃園天皇まで(81代安徳天皇と96代後醍醐天皇を除く)は「某天皇」とは呼ばず、「某院」と称していた。
明治3年(1870年)以前は63代冷泉天皇から118代後桃園天皇まで(81代安徳天皇と96代後醍醐天皇を除く)は「某天皇」とは呼ばず、「某院」と称していた。