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【NHK大河】HPで御皇室を「王家」と表記 - 暇つぶし2ch163:可愛い奥様
11/08/28 00:40:26.44 4wMxptt40
■『〈王家〉をめぐる学説史』(高松百香)

(内容要約)

「王家」概念は、黒田俊雄「中世天皇制の基本的性格」(初出1977年)「朝家・皇家・皇室考」(初出1982年)で表明された
(後にいずれの論文も黒田著作集1巻「権門体制論」(1994年、法蔵館)に収録)。

黒田が天皇家にかわって「王家」概念を提出した理由としては

1「中世資料においては王家の方が天皇家よりも資料に頻出すること」

2「天皇家と呼ぶことで、世界各国の『王家』との比較が難しくなったり、『天皇家崇拝』に荷担したりしてしまう危険性が
 あること 」であった。

この黒田の提唱後、中世史においては「天皇家」よりも「王家」が使われるようになる(黒田が「王家」概念を提唱する前は
現在、「王家領」と呼ばれることが多い概念は「天皇家領」「皇室御領」などと呼ばれることがあった)。

(黒田の提唱後に天皇家が使われた例外的論文として、野村育世「中世における天皇家」・前近代史研究会「家族と女性の
歴史:古代・中世」(1989年、吉川弘文館)、伴瀬明美「中世の天皇家と皇女たち」(『歴史と地理』597号(2006年))がある。
ただし、野村氏は1989年論文を著書「家族史としての女院論」(2006年、校倉書房)に収録したときは「王家」と書き改めており
改説したと見られる(ただし改説理由は明確ではないようだ)。また伴瀬氏は「王家」概念も使用しており何らかの使い分けが
されているようである)

 なお、黒田が「王家」概念を提唱した理由自体は、黒田の提唱した有名な「権門体制論」(黒田による中世史理解の枠組みの
一つ)と直接には関係ない事、したがって「王家」概念使用者は権門体制論支持者と限らないこと(たとえば野村『家族史としての
女院論』の場合、題名から分かるように家族史という要素が強い)、ただし黒田においては「王家」概念と権門体制論は密接に
関わっていること(王家=権門の一つ)に注意が必要である。
URLリンク(d.hatena.ne.jp)


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