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◆佐世保「病院長」はなぜ「養母」を殺したか (週刊新潮6/16号)
「亡くなったハツヱさんは後家さん。佐世保で芸者をしとったとです」友廣家の親族が囁く。
「彼女の旦那さんは五十数年前から佐世保でお医者さんをしとって、今の病院を四十数年前
に作りました。もともと、奥さんと3人の娘さんがおったんですが、病院を作るのと同じころ、
ハツヱさんと出会って一緒になったんですよ」前妻と娘たちは、追い出されるように友廣家
を去ったという。
「旦那さんの兄弟も佐世保で病院をやっとったし、親族がいい顔せんかったのは事実。でも
彼女は、持ち前の気の強さで旦那さんを長年支えてきました」夫は11年前に逝き、芸者あがり
の後妻が後を継いだ。
「けど、子供がいなかったから他から跡取りをもらわんといけん。で、ハツヱさんの弟の子供
はどうか、となったんです」。つまりは慎吾はハツヱさんの実の甥。帝京大の医学部、長崎大
大学院を出て、数カ所の病院勤務ののち、16年前から同仁会で働いていた。
「慎吾は医師としての評判はまずまずでしたが、自宅近所でボール遊びしている子どもに
”うるさい。ぶち殺すぞ”と怒鳴ったり、配達業者に”どこにクルマ停めてんだ”と言う
など神経質な面もありました」
ちなみに養子縁組はしばらく伏せられていたようだ。先の親族がそれをハツヱさんから
聞いたのは「昨年の6月9日でした。親族にお披露目しようということになって、7月に
ハウステンボスで客船を借り切ってパーティをすることに決まったとです。ハツヱさんは
”よかった”と嬉しそうにしとったのに・・・」。子が母親に手をかけたのは、その翌日だった。