11/08/01 17:51:35.50 tlbSAcJ00
>>728
・武田信玄の長女・黄梅院は北条氏政に嫁いで男子を数人産んだけど
両家が手切れになったさい、その子らをすべて北条家に残して
黄梅院だけ甲斐国に戻った。(甲斐にもどった後、病死)
・信長の長女・徳姫は家康の長男・信康に嫁いで2女を得たけれど
信康が築山殿事件で厨されたため離縁して織田家に戻った。
2人の娘は徳川においてきている。
・家康の次女の督姫は北条氏直に嫁いで娘を一人産む。
小田原攻めで北条氏は滅び、夫の氏直は高野山に流されて
大坂で没したために、督姫は娘を連れて徳川家に戻った。
・この場合は北条本家が実質上滅んだからだね。
だけど田渕的にこういう知識はまるで無いであろうし、
小和田センセイに聞く気もないだろうし
「この子別れの部分で、視聴者を泣かせてみせるわ!」の意欲満々で
執筆したであろうと推測できます。
もうこのテの歴史勘違いはどうしようも無いことでしょう。