11/06/04 00:53:45.60 aBDd3LfiO
>>75
詳細を説明すると長くなるんだけど…
もともと10代の頃からアジソン病が持病だった。
太平洋戦争当時、JFKは海軍に所属し、艦長としてフィリピン近くの沖を航海していたのだが
1944年8月、日本軍の魚雷艦に衝突され、その時に衝撃で背中を激しく打撲した。
JFKの艦( PT-100号)は沈没し、乗組員共々海に投げ出され、5~6時間泳いで孤島に辿り着き生還した。
この時の打撲の後遺症により、生来の背中の痛みがますます悪化し
ジャクリーンと結婚した後の1954年12月に、背中に鉄の棒を入れる手術を行うも
返って傷口が可能し、痛みが酷くなってしまった。
通常の鎮痛剤では効かなくて
晩年はコカインやLSDなどの薬物にまで手を出していた、との噂もある。
ちなみに1954年12月は、ジャクリーンが第一子を流産した時でもあり、JFKはかなり荒れていた。
そしてこの時期の入院中に、モンローに興味を持ち、モンローの写真を天井に貼っていた。
「モンローに会わせてくれ」と義弟のローフォードに頼んだのも、この頃。
太平洋戦争中に日本軍から酷い目に遭わされたものの
戦後は、PT-100号を沈没させた魚雷艦の艦長・花見公平氏と文通を始め
上院議員選挙・大統領選挙の際は、元日本軍のメンバーが寄せ書き色紙を送ったり、渡米したりして
恩讐を越えて、熱心にJFKを応援した。
「花見公平」で検索すると色々出て来る。
以上の話は、>>72の「JFK Club Japan」HPに詳しく載っています。