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922 名前:朝まで名無しさん[sage] 投稿日:2011/03/17(木) 09:34:22.56 ID:sqMXHXJD [2/4]
女性セブン(2011/03/31・04/07合併号)皇太子妃雅子さまはなぜ同伴登校をお続けになるのか2/3
2.帰国子女として体験されたいじめ
・雅子さんは父・小和田恒氏が外交官である関係で生後まもなく海外生活を余儀なくされた。
・雅子さん1歳8ヶ月、当時のソ連モスクワへ移住。まもなく母・優美子さんは妊娠。
優美子さんはモスクワでの出産に不安を感じ、恒氏が長期出張中のジュネーブへ行き双子の妹を出産。
・一足早くモスクワへ戻った雅子さんは恒氏・お手伝いさんとの3人生活。
恒氏が「寂しいかい?」と聞いても「ううん」と答え「お母さんと一緒にいたい」などとぐずることはなかった。
・外交官と言うこともあって両親不在の夜も多かったが、雅子さんは寂しさを押し殺し強い責任感を育んでいく。
・雅子さん4歳半の'68年5月、一家はニューヨークへ。市立幼稚園に入園したものの英語がわからず誰とも会話しない日々。
・4ヶ月ほど続いたある日、先生に初めて「May I go to the bathroom?」(お手洗いに行ってもよろしいですか?)
この日を境にそれまでが嘘のように次々と英会話を。
・この沈黙の4ヶ月は雅子さんにとって頭の中のロシア語を追い出す期間で、
英語で話せる自信がついてようやく言葉にしたのではないかと言われている。
・何事にも慎重で自分の力で忍耐強く物事に挑戦する雅子さんの原点が垣間見られる。
・'71年2月、7歳の雅子さん帰国。公立小に編入するが優美子さんのたっての希望で田園調布雙葉小の編入試験を受ける。
・試験後、優美子さんに「入学式って何?運動会はいつ?魚の背びれ・尾びれって何?」と質問した雅子さん。
日米文化の差に苦しみこの年の受験は失敗。
・3年生の時、雙葉小へ編入したが当時まだ帰国子女という存在が珍しく雅子さんも少なからずいじめを体験。優美子さんは厳しく接する。