あぼーん
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268:可愛い奥様
11/04/12 22:53:59.56 Ry/3oBGt0
猪瀬直樹の「眼からウロコ」
過酷な現実から目をそらせてはいけない
東日本大震災の被災地を見て考えたこと(1/4)
秋篠宮殿下と紀子妃殿下が4月7日、東日本大震災で宮城県や福島県などから避難してきた被災者が身を
寄せる東京ビッグサイト(東京都江東区)を慰問に訪れた。僕は副知事として両殿下をご案内した。
百人一首に残る貞観地震による津波
契(ちぎ)りきな かたみに袖を しぼりつつ
末(すゑ)の松山 波越さじとは (後拾遺集)
百人一首にある清原元輔のこの歌を引いて「千年に一度の津波なんですね」とお話しすると、秋篠宮殿下は
「津波は貞観(じょうがん)時代ですね」と相槌を打たれた。清少納言のお父上である清原元輔(908~990年)
が詠んだ歌である。
陸奥、三陸は、美しい自然と日本人のロマンの象徴で、古来より心の故郷だった。この歌は、日本という
島国の歴史が、王朝文化として刻まれている一例である。
男女の心模様に大津波を織り込んでいる。大津波でさえ越えることはない「末の松山」のように、2人の
心もまさか変わらないでしょう、と詠まれている。「末の松山」は、現在の宮城県多賀城市付近の地名で、
石碑も建てられている。
貞観11年(869年)、東北沖で大地震が発生し、巨大な津波が押し寄せた。今回の東日本大震災が
「千年に一度」という時間軸で語られるのは、貞観地震に匹敵する大津波が発生したからだ。「末の松山」は、
貞観地震であっても津波が越えることはなかった。貞観地震の話は京都にまで伝わり、清原元輔の時代にも
人々の記憶に強く残っていたのだろう。
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