11/02/14 14:25:03 AQrvk9dG0
>>619
ちなみに省略したところはアーヤとサーヤのお話
礼宮は後年、紀宮と自身の同級生、黒田慶樹の間を取り持つなど、実際、妹に限りない愛情を感じていたようだ。
幼いころには東宮御所の所狭しと二人でじゃれ合う光景を繰り広げ、その親密ぶりはつとに知られている。
思うに両陛下は最初の子供の浩宮をのびのび育てようと思ったら
全く躾が行き届かない状態になったんではなかろうか
それで、びしばし躾る方向に方向転換した頃、礼宮が生まれた(浩宮が物心ついてからだからこの頃のはず)
で、同じように躾たら、礼宮はびしっと一度言えば、言うことを聞く
しかし浩宮はいつまでたっても何度も厳しく罰を与えなければ、躾られない
この差を対外的に言い訳する為に「浩宮は甘く、礼宮は厳しく」が広まったのでは?