11/02/02 14:31:28 lt6Y4Bf40
>>442ですが、河原さんの本ありました。 「皇太子妃雅子さま」ハードカバーp164-165
もしかしたら、「関係ない」と答えた大きな家の小和田さんは戦後移住してきた人?
>(河原氏が取材に)訪れたのは小和田豊春氏。市内に小和田姓は三軒あるが、一軒は旧藩と関係なく戦後移住してきた人。
>あと一軒は豊春氏の弟だが、昨年(=1992年)大晦日に他界している。
>豊春氏は市内の細工町に住むが、本籍は村上市本町三八〇。
>雅子さんの父恒氏もまた、三八〇番地なのである。
>六一年に恒氏夫妻が両親とこの村上に来たとき、豊春氏は亡弟の昭三氏とともに(恒の泊まった)旅館を訪ねている。
>「道助の子孫です・・・」と名乗ると、恒氏も、「うちもそうです」と初対面の挨拶を交わした。
>そして、「東京に来たら寄ってください」と外務省の名刺の裏に、目黒区の自宅の住所を書いてくれた。
>「だからって、行けやしないですよ。行ったら追っ払われちゃうよ、ハハハハッ」と豊春氏は大きな腹をゆすった。
>大工の豊春氏と左官の昭三氏は、相手が偉すぎて気おくれがし、ろくに口もきけずに終わったという。
恒が呼びつけたんだね。
当時(61年11月)は丁度雅子が外交官試験に受かって、エレナ王女レセプションで浩宮と会っていた時期・・と。ふんふん。