11/02/02 13:02:32 tYDYM35I0
毅夫も泉性寺なんだね。
今、お墓はどうなってるんだろう。前は個人墓だったよね。
別のをつくったのかしら。
【小和田毅夫】(1898-1993)
東宮妃雅子様の祖父。明治31年上越市で、父金吉、母竹野の長男として出生。
小和田家は、村上藩士の子孫である。先祖は町同心や下横目という任に就いている。
これらの職は、藩の枢機に参画するような要職ではない。
しかし、幕末維新期の当主道助はなかなかの人物であったらしく、
郡方懸りというやや上級の職に抜擢され、その任を全うしたといわれている。
明治維新後、早々に道助の三男金吉の代に小和田家は村上を離れ、金吉は喧嘩の税務署に務める。雅子妃殿下の曽祖父である。
明治33年、金吉急死。母竹野が働きながら毅夫を育てる。
毅夫は教員養成系の最高学府広島高師を卒業。隣県、新潟県立の旧制中、旧制高女の教員、校長を経て終戦後、旧制高田中、高田高の校長として10数年在職。
漢詩を愛する名物校長として慕われた。昭和33年退職。45年まで高田市教育委員長を三期務める。
このように教職にあって、各地に転勤、住所も何度か変わったが、その都度転居先を村上鮭産育養所「育英会」に届け出ており、その誠実さが伺える。
今なお本籍地は村上本町380番地(現・村上市飯野)である。平成5年(1993)10月19日没。享年95歳。新潟市泉性寺に眠る。