11/02/07 18:49:00 bcWR/+s10
そういうことですね。
もっと簡単に言うと、
ドイツが統一されたのは遅く、中世のドイツは
(-戦国時代の日本の様に- リヒテンシュタインの様な)
小国が多数あり、その内の一つの国のお姫様と言う事です。
因みに
リヒテンシュタインやモナコは Principality で ルクセンブルグは Grand Duchy
どちらも日本語に訳すと、公国、或いは大公国で、王国のkingdom よりは一つ格が下がる、或いは小さいと考えれば宜しいかと。。。
余談として
当然、ドイツ統一(ドイツ語を話す民族・地域の統一)には難関があった。
権勢を誇るハプスブルグ家は、オストリー帝国をのまま、
大国のバイエルン(カトリック)は(プロテスタントの)ドイツ統一後に従ったわけではなく、、、
それ以前、10世紀には、ザクセン王がドイツ王に選出され、神聖ローマ皇帝となるも
各諸侯は、言うなりにならず、教会を利用として、ローマの不興を買い…
ドイツの各諸侯は、対外的にはドイツを統一させて挑みたいけれど、
ドイツ国内の(対等であるべき)他の一国の”王”が、ドイツを仕切るのは我慢できないと…
これ以上、詳しい事は世界史板あたりで、、、
まあ、そんな、こんなで、ドイツには、プリンセスを名乗るご令嬢が少なからず存在するというわけです。