11/01/10 19:23:14 RQrvoT9R0
百済は大和の父か
皇室の正月行事に歌会始がある。和歌がハレの儀式に使われた時代の名残だろう。
和歌の起源については、高校の古文で習う 「古今和歌集仮名序」 が有名だ。作者の紀貫之は
「難波(なにわ)津(づ)の歌」 と 「安積(あさか)山(やま)の歌」 を 「うたのちちはは」
だという。
「難波津に 咲くやこの花 冬ごもり 今は春べと 咲くやこの花」--仁徳天皇が、かつて
弟と東宮位を譲りあった時に、王仁(わに)がこの歌を献じて即位を勧めたとされる。
さて、王仁は百済の人である。漢字を伝えるために論語や千字文をたずさえて渡来した。百済か
ら来て、いきなりやまと歌の父になれるか。
来日して日本語を学び芥川賞を受賞した中国人作家、楊逸 (ヤンイー) さんのような例もある
が、王仁は日本語を学びに来日したのではない。漢字を教えにきた人なのだ。
この疑問に、韓国・檀国大特別教授、金容雲氏はこう答える。王仁が渡来した5世紀のころ、日
本語は百済語とほぼ同じだったのだと。(「日本語の正体-倭の大王は百済語で話す」三五館)。
わかりやすいが、そうなのか。 (つづきます)