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法廷で朗読された被告の母親の供述調書などによると、池田被告は1978年、兵庫県で生まれた。
父親は元甲子園球児の銀行員で経済的に恵まれて育った。
親の転勤で5歳の時に横浜市に引っ越し、中学では生徒会長も務めた。
同市内の私立高校を卒業し、22歳で結婚して一女をもうけたが数年後に離婚。
水道工事会社や先物取引会社などを転々としながら、毎月10万円の養育費を送った。
どの職場も長続きせず、「転落」が始まったのは指定暴力団稲川会系組織の組員となった2004年ごろ。
途中で山口組系の組に移り、暴力団には計約2年間所属した。
実家とは連絡を絶った。母親は「どこかで生きていると信じ、『腐るなよ、いつか道は開ける』とメールを打ち続けた」と振り返った。
事件直前は東京都内の岩盤浴店の店長として働いた。休み無く働いて月収は手取り約23万円。
養育費を送るとわずかしか残らず、稼ぐ方法を探していた。
知り合ったばかりの近藤剛郎(たけろう)容疑者(26)=海外逃亡中=から麻薬密輸にかかわるよう誘われたのは、そのころだった。
当時の心境を被告は「収入とともに、刺激的な非日常の世界にあこがれた面もあった」と説明した。
母親は調書で「事件は私たち親子にとって究極の痛み。最高刑を受け入れる覚悟はできているつもりです。
だが、生きなくてはならないとしたら一緒に償いたい」と訴えた。
審理最終盤の被告人質問で、裁判員が「時間を巻き戻せるとしたらどこに戻りたいか」と聞くと、
被告は「事件前よりももっと根本的なところ。できることなら学生時代まで」と答えた。
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