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松永太 (昭和36年4月28日生まれ)
北九州市小倉北区において畳屋の両親の長男として生まれる。
7歳の頃、父親が布団販売業を引き継ぐために実家、柳川市に転居。
公立小学校に入学した松永は大した勉強もしないのに全学年を通して
ほとんどの科目がオール5で、学級委員長を何度も務め、生徒会の役員に
就いたこともあった。
中学1年生の時には校内弁論大会に出場して3年生を差し置いて優勝。
中学時代を通して男子バレー部のキャプテンを務めたりした。
しかし、こういう華々しい活躍にも関わらず担当教師達の印象は決して
いいものではない。中学3年時の担当は、供述調書で「目立ちたがり屋で
ワンマン、リーダー的存在。周囲に有無を言わせず声が大きく、威圧感を
与えるタイプ。『俺はいつでも松下幸之助と連絡が取れる』とか、すぐに
ホラを吹きました。取り巻き連中を作り悪さも取り巻きにさせていました。
家庭訪問をしようとしても、うちは話すことがないからと断り続けれので
結局行くことができず、両親がどんな人なのかわかりません」
高校は緒方純子と同じ県立三潴高校に進学。2年の時に生徒会の風紀委員長
に立候補、当選したが、不純異性交遊が発覚し退学、3年生から他校
(私立筑邦高校)に転校、しかし筑邦高校でも風紀委員を担当している。