10/08/26 22:29:12 zFmz8HUw0
>>72
慶應義塾を「教育の立場からの士族授産」としたのは>>64にある福澤研究センター准教授の見解
に影響されたものです。明治四年三田移転当時377名いた塾生が明治十年には105名と3分の
1にまで落ち込んでいる。当時、「慶應義塾の三藩」から能力のある子弟が慶應義塾に送り出され
ていましたが福澤先生も学生集めにはさぞ苦労されたことでしょう。慶應義塾はビジネスのありか
たを教える場所ではなく「実学を学び判断力を養う場所」です。判断力については『学問のすすめ』
でしばしば福澤先生が触れられていることで、福澤研究センター准教授もそのことを述べています。
実学については塾生・塾員でもその真意について誤解している人が多い。地理学や歴史、倫理学
も実学です。 慶應義塾は社会に出てすぐ役立つようなスキルの類を教えていたのではありません。