10/08/24 10:39:14 bz7yMmI00
福澤研究センター准教授は>>64のリンク先で「福澤は『ミッヅルカラッス』の人々が、近代日本を形成
していく牽引力になると考え、その中心をなすのは江戸時代に学問する力を培ってきた士族層である
と考えていました。」と述べています。福澤先生がミドルクラスである士族に注目したのは士族が資産
階級だったからではなく「知識階級」だったからです。また、同じ「ミドルクラス」でも日本とイギリスでは
様相が異なります。卒族が廃止された明治五年のデータを見ると国民の93.4%が平民です。ミドル
クラスは6.6%もいません。そして、生産的な活動によって収入を得る術を知らなかったミドルクラス
の方が労働者階級よりも貧しかった。福澤先生はミドルクラスである士族の状況について『学問のす
すめ』十四編 で述べています。「貧は武士の常、国に尽くし忠義に生きるのが本文だ、と言って百姓
の米を食いつぶし、現在になって困窮しているのが士族である。」士族としてのプライドは商売を行な
う上では非常に邪魔になった。「士族の商法」と呼ばれるように、「べらんめえ調」で商売を行なったた
めことごとく破綻したのです。十四編が出版された明治八年の塾生の割合を見ると68%が士族です。
塾生の半数以上が困窮層だった。とてもイギリス流のパブリックスクールと呼べるようなものではあり
ません。福澤先生が教育の立場から士族授産を試みた、これが慶應義塾のルーツであると考えます。