10/08/31 08:55:25 fXiZyXjF0
>>98>>100>>101
慶應義塾の庶民性を強調しているのではなく、苦学生を拒むような学校ではないと言っているのです。
仮に、苦学生を差別する塾生・塾員がいるとして、それは慶應義塾の意図するものではありません。
私の在学中には、産まれながらにして身体に障がいを持つ塾生や小さい頃にお父様を亡くされた塾生
もいました。そうした塾生が他の塾生に対して「被害者意識」を持っているように見えたかというと決して
そのようなことはありません。 むしろ、前向きであるという印象さえ受けた。内面では「負けてたまるも
のか」と思っていたのかも知れませんが、それは「被害者意識」とは異なります。ましてや五体満足で、
両親共に健在なら、塾内で後ろめたさや「被害者意識」を感じる必要など全くありません。また、私自身
塾内で苦学生を差別したことなど一度もない。キャンパス内では車椅子利用者のためのスロープ設置
など、バリアフリーの取り組みも行なわれています。その他、慶應義塾は苦学生が不利にならないよう
制度を設けて環境を整備しています。親の資産云々より、そういったことから話を進めるべきでしょう。
慶應義塾が苦学生にとって敷居の高い場所であるかのようなイメージを流布させることは、慶應義塾で
学びたい生徒の就学機会を奪うことにもなりかねません。苦学生も分け隔てなく慶應義塾で学び社会
で活躍して欲しい、福澤先生ならそのように仰ると思います。そして、慶應義塾は現在もそのスタンスを
変えていません。「人の理想は高尚でなくてはならない。理想が高尚でなければ、活動もまた高尚には
ならないからである。」福澤先生はこのように述べておられます。理想がただの「きれいごと」で終わる
かどうかは、義塾社中の「実行力」にかかっていると言えるでしょう。