10/09/19 15:08:05 MqT3mvrY0
>>603
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韓国添乗員といい、ケチつける日本人といい、不勉強者同志が滑稽な言い争いをしている。
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李氏朝鮮時代の仏教弾圧
李氏朝鮮時代 (1392–1910) に入ると、一転して儒教が国教となったため、仏教は徹底的
に弾圧された。
初期には王族の保護を受けたが、士林派の集権で弾圧が強化された。僧はソウルに入る
ことを禁止された上、賎民階級に身分を落とされた。また、全国に1万以上もあった寺院
は、国家的に保護を受けるべきものが240に限定され、その他の寺院は所有地と奴卑を没
収され、また多くが破壊された。
さらに、第3代の大宗王7年 (1407年) には12宗が7宗に、次の世宗の治世 (世宗6年・1424年)
にはその7宗派も禅教の2宗派に統合、さらに240の寺院は18寺院を残し破壊されるなど、
この時期に仏教の勢力は著しく衰退した。以降仏教は朝鮮王朝の末期に至るまで強い迫害
を受けた。
しかし、幼少の明宗が即位し、文定王后が政治を補佐すると、破仏政策に強い不満を持っ
ていた王后は、仏法中興を図った。1551年 (明宗6年) には既に廃止されていた禅教の2宗
を復旧させ、僧侶の資格試験に当たる僧科も復活させた。僧科からは、『禅家亀鑑』 など
を著した清虚休静らの優秀な僧侶が輩出した。
李氏朝鮮時代に全体的には仏教は弾圧されたが、完全に破壊されるには至らず、また民衆信
仰としても保存された。
朝鮮王朝末期になると、近代化の動きの中で仏教への圧迫も弱まった。朝鮮の僧侶たちは
日本や中国などの僧侶とも交流しながら仏教の復興に取り組んだ。日韓併合以降は、日本
統治の影響により僧の妻帯を認めるなど朝鮮の仏教は日本の仏教の影響を強く受けた。
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