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この橋本の記事に対して次号で、前田侯爵家出身で、酒井忠元旧侯爵に嫁いだ酒井美意子
(学習院常磐会前理事)が反論。
さらに八月三十日号で、橋本は軽井沢のプリンスホテルに滞在する皇太子にインタビューを
試みている。
「日記」で「女性自身一寸驚ク・・・・・・長官訪問」といっているのはこのインタビューのことだろう。
「皇室への二つの意見に私から答える 談・皇太子明仁親王殿下」の見出しがついているのだから、
確かに驚きである。
田島が長官に会いに行くのも無理はない。その記事の中で皇太子は以下のように言っておられる。
「欧米から帰って(注・一九五三年 英国女王戴冠式に陛下のご名代として出席されたときのこと。
ご成婚の6年前にあたる)それは、非常に早い時期だったと思うが、私は上流旧華族の本家からは、
妃をとらないということを小泉さん(注・小泉信三博士・東宮参与)に話している。
これは私の将来の皇太子妃選考の一条件として、具体的にどういう人がいいかという問題をぬきに
して、一般的な理想の線として考えたことだった。
〔中略〕国民と共に考え、共に生きる伴侶としての人を求めていた。これは旧華族上流以上の人には、
求められない姿であった。現在、美智子の、常に日本国民のことを考え、自分のつとめに忠実たらん
としている姿をみて、この自分の考えが間違っていなかったと感じている」