11/08/18 09:25:45.22 XJ69FTN5
私は2つの事を同時に出来ない人間なので、近年は映画撮影に精神を集中させ、
映画に関しては自分の理念を貫き通してきた。
今までで満足できた作品や好きな作品、代表作と呼べる作品を尋ねられたとしても、
それらは私にとって全く意義の無い質問だ。どの作品にしても好きだからこそ出演したのであり、
そうでなければ出演しないのでは? 私は過去を振り返るのは好まないし、
撮影の都度に全力で様々な役柄を演じ、「更に良い明日」を期待し信じている。
中には、私のルックスから演じられる役が限定されていると指摘する人もいるが、それには同意できない。
捨てる事を学び取るのが役者稼業であり、役で自身を醜くさせる事に抵抗を感じないからだ。
時勢や世間が映画のジャンルに深く関係し、化学作用を生じているという興味深い現象が存在してる。
例えばSARSが流行してた頃の映画会社は、矢継ぎ早にコメディー作品を制作して苦しんでいる観客を楽しませようとし、
当時は悲劇作品の撮影は不可能だったので、私は時期を見ながら役を選んでいる。
262:名無シネマさん
11/08/18 09:28:58.15 XJ69FTN5
また、私が何度も演じている企業の重要人物や警官等の役は、香港映画に多く見受けられる役であり、
新鮮味が無いと判断されがちだが、既知の概念に新しさを加えるのは実に難しい事なので、
それらに対する感想を、観客の食後の話題に取り上げて頂けたら、それだけで私にとって大成功なのである。
受賞に関しては、縁次第なので拘っていない。監督になる事に関しては、未来永劫に不可能だと断定できる。
大勢の監督と仕事をする程に、容易でない仕事だと更に実感させられるからだ。監督業は作家みたいなもので、
「自身の手で自身の心を書く」事が必須であって、1本の映画作品とは監督が書いた文章のようなもの。
思いや事情が複雑に絡み合って容易く制御できるものではない。だが、私にも肯定できる事が1つある。
それは、一生涯、映画の仕事から離れられないだろうと言う事だ。
大抵の中国人の役者が期待して止まないのは「アジア脱出」だが、
これに関しては早急に実現しそうだ。実際、ここ数年来はアジア以外からの出演依頼を受けており、
たまたま心動かされる作品に出会っていないだけである。もし今、自分好みの脚本が送られてきたら、
出演するに決まってるじゃないか?
口述:ルイス・クー 筆録:東方日報芸能部
263:名無シネマさん
11/08/18 09:59:55.33 74CiOW+C
トンスルってのがこの国の名産らしいと聞き
引っ越してきてすぐwktkしながら南大門商店街の店に買いに行った
店の外には「トンスル入荷!!」と紙がペタペタ張ってある
俺「トンスルください」
店主「無いニダ」
俺「え・・・売り切れですか」
店主「無いニダ」
そこに他の客が続々店入ってきて
おばちゃんA「トンスルあるニカ?」
店主「あー入ってるよー」
おばちゃんB「なんや兄ちゃんには売ったらんのか」
店主「植民地支配と強制連行に謝罪を賠償をしないチョッパリに売るのは無いな」
俺、下向いて退店
帰国してイオンで買って帰った
韓流が大人気ってのは大嘘