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劇場版が公開される前に少し考えておきたい。
アニメ『けいおん!』に見られた平沢家の不自然さ、あれはいったいなんだろう?
もちろんこれは、作品に対しての良い悪い、好き嫌いの話ではない。
どうして、自宅のシーンがあれだけあったにもかかわらず、平沢家には親が登場してこなかったのかと言うことだ。
そもそも、最近の作品は実体を伴っての「敵」がいないものが多くみうけられるのもその背景かとも思う。
誰でも知っている有名作品、というのであれば、スタジオジブリの『借りぐらしのアリエッティ』やディズニーの『カールじいさんの空飛ぶ家』もこれに近いのではないだろうか。
敵らしい存在もいるにはいるが、皆、ごく普通の人だ。『借りぐらしの~』では家政婦がそれにあたるのだろうけど、
彼女は「めずらしい生き物だから」くらいの気分でアリエッティ一家を追っているだけで、敵というより、
ワイドショーをよく見ているようなタイプの「どこにでもいそうなおばさん」としか思えない。
『カールじいさんの~』では、カールを強制的に施設に入れようとする人たちが出てくるが、
こちらもやはり、倒すべき敵というよりも「頭のかたい人たちにありがちなお役所仕事」という雰囲気だ。
『サマーウォーズ』においても、敵は存在していなかったのではないかと思う。
影の有力者の死という突発的要因でそれらしき人物は現れるものの、悪いのはあくまでプログラムであり、
人間の群れとしての最小単位である「家族」が、「人間ではないプログラム」の暴走に対抗するという形で進行していた。
同年に公開された『マイマイ新子と千年の魔法』においても、友人関係という小さなサークルが「転校」という外的要因により変化するという構造が見えた。
そしてこちらでも突発的に死が挿入される。興味深いのは、その死の原因と目された相手が、憎悪の対象という踏み込み方では描かれなかったことだ。これも「敵の不在化」が現れたものだと言ったら、考え過ぎだろうか。
ではTV作品ではどうだろう?
(続きは以下から)
Anigema!
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