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母の郷里は空襲もなく、疎開者もあまり見かけず、祖母の思い出話では
戦争の前も後も物資不足はなくて、足りなくなっても近所で貸し借りしたり、
時には「もってけ~」と譲り合ったりしてたそうだ。
たぶん祖母の思い出話は、ここにいる戦争は悲惨であるべき派の人たちには
許しがたい能天気さだと思う。
もし、空襲や、食料不足を経験した人が、祖母に「当時は食べ物が
なくて大変だったわね」と思い出を共有しようとしても、「そうだったかしらねぇ…?」
とか「結婚式の晴れ着を手に入れるのも難しかった時代だったわねぇ」とか、相手の
神経を逆撫でするようなことを言ってしまうかもしれない。
だが、戦争でそういう経験しかしていない祖母にしてみれば、当時の思い出を
振り返ると、そういう返事になってしまう。
だって、それが祖母の経験したことだから。
それでも戦争は悲惨であるべきと考える人は、祖母に気遣いを強要して
祖母の戦争体験談を否定するのかな。それとも、経験談を封じ込めようとする?
戦争の体験談は悲しくて悲惨なものしか許されなくて、それ以外の人は
「気遣い」を理由に語ることすら許されないの?
じゃあ、悲惨な思い出がないからと、当時の思い出を否定された人たちへの
気遣いはいらんのかと。
いいじゃないか、人それぞれ違った経験して、違った記憶を持ってたって。
どっちが正しい、どっちが間違ってるってもんじゃない。