【JOHN】ランボーシリーズ総合 PART2【RAMBO】at KINEMA
【JOHN】ランボーシリーズ総合 PART2【RAMBO】 - 暇つぶし2ch282:無名画座@リバイバル上映中
10/11/17 20:39:15 xGbABhVT
ティーズル署長は、朝鮮戦争の『チャンジン(長津)・ダム撤退作戦』に海兵隊員(曹長)として
従軍・参戦したのだが、映画では朝鮮戦争の一件が殆ど語られていなかった。映画で、それが表明
されていれば、ティーズル署長もランボーに或る程度の理解を示した筈である。
ティーズル署長が参戦した『チャンジン(長津)・ダム撤退作戦』についても触れてみよう。

『チャンジン(長津)・ダム撤退作戦』は西暦1950年11月24日に端を発する。
西部の陸軍第8軍と北東部の海兵隊第10軍により、攻撃作戦を開始した。その翌日の25日、中共軍
が大挙襲来して、有名な人海戦術を展開した。
陸軍第8軍は、18万人という中共軍の兵力に圧倒されて、後退を余儀なくされる事になった。
さらに、長津湖の西に前進していた第5・第7海兵連隊が、同月27日夜に中共軍の大変な反撃を受けた。
ティーズルは第5・第7海兵連隊のどちらかにいたのだろう。

11月28日から12月2日まで、第1海兵師団は中共軍の8個師団による猛攻撃に耐えていたが、遂に
撤退を決意した。これが、『チャンジン(長津)・ダム撤退作戦』の始まりである。
第1海兵師団は、中共軍と戦いながら、極寒の山岳地帯の120kmの道程を後退した。喝隅里まで撤退
して、さらに古土里を経由して、真興里へと後退したのだが、道は谷あいにあり、両側の山から中共軍が
猛烈な攻撃を加えて来た。
その上空では第1海兵航空団の F4Uコルセア戦闘機が飛び、第1海兵師団の撤退行動を援護した。
雪が降っていたが、海兵隊のパイロット達は、仲間の海兵隊員を中共軍の手に落とさないように、必死で
飛び回った。ティーズルが殊勲飛行勲章(殊勲航空十字勲章)を受けたのは、この時に飛んだからだろう
と思われる。

北京放送は「第1海兵師団の殲滅は時間の問題だ」と言ったが、海兵隊は12月11日に、やっとこさっとこ
真興里に到着した。海兵隊の最終目標は興南だったのだが、中共軍が攻撃出来るのは真興里までの山岳地帯
だったので、海兵隊の撤退作戦は、事実上成功した。

だが、その代償も高くついた。死者618人、怪我人1082人(ティーズル署長もその1人)、行方不明者
192人に及んだ。対する中共軍は、37万人もの死傷者を出したのである。
以上が、ティーズル署長が従軍・参戦した『チャンジン(長津)・ダム撤退作戦』の全容である。

また、『チャンジン(長津)・ダム撤退作戦』で、ティーズル署長は勲章を授与されている。原作では、
署長室に表彰状があって、それにこう書かれていた。

『海兵隊兵曹長、ウィルフレッド・ローガン・ティーズルへ。
圧倒的多数の敵前に於ける、顕著にして勇敢なる統率力を、ここに賞する。
─西暦1950年12月6日、チョセン(長津)・ダム作戦にて』

特別勲功十字勲章×1回。これは、海軍殊勲十字勲章(海軍・海兵隊・沿岸警備隊共通)
の事だろう。
他に、銀星勲章・青銅星勲章・パープルハート勲章・殊勲飛行勲章(殊勲航空十字勲章の
ようだ)、殊勲勲功勲章が各1回ずつ。
これが、ティーズル署長が海兵隊員として、朝鮮戦争の『チャンジン(長津)・ダム撤退
作戦』に従軍していた時の受勲の全てである。


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