11/10/05 22:54:54.24 HErzHDaD
立教・上智・関学・青山学院等の主要なキリスト教の学校は、
自らが所謂ミッションスクールであることを公言しているし、その上で学生募集している。
志願する側はそれを承知した上で志願する。それはそれでよい。 だが、同志社の場合はちょっと違うんだな。
同志社は自らをミッションスクールではなく、「キリスト教主義」であるという。
他のミッションスクールとは違うというのだ。 こんなことは普通の人間には何のことだかサッパリわからない。
実態として、同志社は、自らの都合のいいところではキリスト教というものを大々的に利用している。
なんとなく格好のいいイメージ、欧米的で洗練された イメージ、
ミッション系=欧米的=外国語教育=国際主義みたいなイメージの演出。
キリスト教的価値観を存分にばら撒き、他のキリスト教の学校と同様のイメージを演出している。
その一方、特定の宗教に依拠した宗教学校じゃないかと言われると
「我々はキリスト教主義であってミッションスクールではない」などと主張し、
新島襄の名を存分に使い、さも「質実剛健」「在野の精神」であるかのような的なイメージを振りまき、
自らを「西の早稲田」?などと称する。
やれ新島襄は大隈重信とも親交があっただことの、早稲田の校風は同志社が輸血しただことの、
他大学の威光を借りて、自らのイメージを高めようとするのがここでの同志社の特徴。
この、営業政策的に二つの顔を使い分ける同志社の姿は、傍から見るとなんとも滑稽極まりない。
同志社を一言で言えば、二枚舌のまがいもん学校ってとこだな。。