11/05/24 05:37:24.73 Tsl1SN4F
>>740
例えば、ボクシングならはたから見たら紐と板と2つの肉体で、勝負が自分の人生に関係ないものであっても
当事者間では精妙な間合いや掛かった人生、アイデンティティーなどが確実にあるのです。
最後の一線は、お互いが認知(定義)していてそこにアイデンティティーのつばぜり合いが発生している感じです。
ちなみに、包丁でおいかけられる恐怖も例えば痴漢冤罪の濡れ衣による社会的体裁の崩壊や
ハンディキャップによる慢性的な差別など、また、人によっては小さな大会で優勝するかしないかなどでも、
アイデンティティー消失という点ではすべて同じラインの苦しみだと思います。