11/05/04 21:29:03.95 RayoPIEb
>>369
なるほど、わたしもそう思います。
では、あらためて仕切り直しましょう。
まず、大前提を書いておきます。
わたし個人は「悟り」がどのようなものであるか、まったく興味がありません。
したがって、自分自身が悟りたいとも思いません。
ですから、「己の心を見つめ直すべき」云々などとお話していただく必要は一切ありません。
そこを混同しないでほしいものです。
では、わたしがなにを知りたいかと言うと、
「わしは正しく悟りを得た」と表明することで、
和尚さんはいったいなにを得、なにができるようになり、
いまいったいなにをしようとしているのか、ということです。
>>350で和尚さんはこう言っています。
>わしは正しく悟りを得た。
きっとそうなんでしょう。疑いません。
そこは問題ではないのです。問題は次の文なのです。
>それが理解できてもできなくても、何の支障もない。
「理解できてもできなくても、何の支障もない」のは誰ですか?
わたしはこれを、「和尚さんのレスを読んでいる者」だと読解しました。
それが(いくぶん揶揄の調子があったことは認めますが)「言い張る」という表現につながったわけです。
しかし、わたしのそれは妄想であるようです。
なので、まずここを確認したい。
「理解できてもできなくても、何の支障もない」のはいったい誰なのですか?
お教えいただけますか?