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不安を感じてしまったのです。およそ初めてのことでした。およそ初めてと
いうのは、小さな不安は別ということです。思い切って買った靴が似あわなか
ったらどうしようか。似合わないというのは、自分が選んで似あうと考えたか
ら買ったのだから、あとから来る不安は他人の評価です。
幼い頃から不安を感じることがなかったのです。ただ不安と捉えずにいたのか
もしれません。幼い頃、飯を好き嫌いをせずにすべて食べなさい、と言われれ
ばすべて食べました。両親の教育方針でした。その結果、小学校のうちに、何
も食べられない物はなくなりました。同時に好きなものもなくなりました。形
だけ、外に向かっては、寿司が好きだ、ということになりました。誕生日のお
祝いに、何が食べたいか、と聞かれて、寿司を食いにいったこともあります。
またあるときは、人に思いを寄せられて、嫌いではないし、そういう人がいて
もいいというだけで、受け入れたこともあります。明らかに好かれているのに
気づき、喜ばれるために自分からそういう方向にもっていったこともありまし
た。
すべて甘えでした。自分で考えず、他人の意向や希望、流れ、必要に合わせ、
自分を形成していたのです。そんな私を見抜いてそっと離れてゆく人はいまし
た。それは無意識の軽蔑だったのかもしれません。胸に冷たいナイフをあてら
れたような恐ろしさを感じました。あてただけ、私の傷はなかったのかもしれ
ません。傷ができたとしても、隠せるような傷であったのかしれません。人の
思うように動いた生活。自分の意志であるかのように装って、なんでも決めた
振りのせ活でした。