09/12/11 16:36:31 BFeSyc9c
>>434続き
早稲田大学執行部&OB&在学生の諸君
明治以来、早稲田が東大や慶應から恐れられてきたのは、
その学生数の多さだった。神宮や国立競技場での「早稲田、早稲田!」
というコールや校歌斉唱の圧倒的な迫力に悩まされ、「早稲田一派」
などいう貶称をしてまでも、必死に早稲田を見下そうとしてきた。
早稲田の力は、その圧倒的な学生数の多さと多様性にあるんだよ。
「大衆マンモス路線」は決して誤りではなかった。それどころか大隈候の
先見の明は遠く百五十年後の未来を見据えていた。「大衆民主主義社会」では、
東大卒の官僚や慶応卒のセレブ子弟ではなく、早稲田卒の庶民こそが主人公になる
ということだ。庶民の数の多さと多様性こそが国を動かす原動力となる。
近年の奥島や白井執行部の路線は、早稲田のその伝統を破って、「小数精鋭」だの
「定員調整」だのやり出した。従来の伝統を反省して、欠点を補おうという努力は買うが、
もっと根幹的な早稲田の精神を忘れてしまったという点でやはり誤りというしかない。
次期総長にはもう一度★「大衆マンモス路線」を復活してもらいたい。今早稲田に必要なのは、
伝統を否定することではなく、むしろいっそう早稲田的な伝統に忠実になることなのだ。
たとえば附属校などは、これでは慶應に比べてマンモスではなかった。付属校についても学部と同じくらいの
学生数の差をつけるべきなのだ。 学部学生についても、政経法商の定員を削ったり、
理工を三学部に分割してしまうなど伝統に明らかに反する政策を強行した。
これらの上位学部はむしろ定員を増員すべきだ。そうしないとスポーツや芸術芸能ばかり
存在感のある大学とされてしまう。★東大の四倍、慶應の二倍の定員は
常に確保すること。これが早稲田が譲れない「数の論理」だ。
次期総長の時代に、★是非とも附属校内部進学者1学年4500名、上位学部増員による学部1学年13000名、
そして大学院修士課程1学年6000名の目標を達成してもらいたい。圧倒的な数の優位による
アルティメットクラッシュ(徹底的叩きのめし)こそ早稲田の伝統だ。