11/05/18 21:32:54.30 0JkmV3IhO
では、ヴォーカルのターナー氏はどうしているかというと、
女の尻を追って遁走したわけではなく(もっとも、2曲ばかりインストゥルメンタルがあるので、その間は遁走していた可能性もあるが)、
唄の幅を広げた様だ。
僕は今まで、この人はロニーや、グラハム・ボネット系のヴォーカルだと思っていたんだけど、
A①なんかフォリナーに通ずるものがあるし、
B①はサバイバーみたいだ。
A③に至っては、もう完全にラヴァーボーイそのもの。
そしてこれは唄のみならず、アルバム通した曲全体に言える事で
アメリカ流ハード・ポップへのアプローチをスルドク読み取ってしまったのだ、子供ばんどのギタリストは。
さてスルドクなった子供ばんどのギタリスト、
次にどうしたかというと、
A②のかっちょいいハモンドや、大先生のギターワーク、
特にA④なんかを聞いて、耳の穴から脳ミソがザクザクとこぼれ落ちて、バカボンパパになってしまったのだ。
スルドクいギタリストをパパにしてしたのは、
それが正真正銘のディープ・パープルだったからなのだ。
「ヤバイ!」とバカボンパパが思った時には、もう遅い。
締め切りは迫るわ、落ちた脳ミソを拾ってるヒマは無いわで、
ポップへのアプローチとディープ・パープルを結びつけて、
まとめなくてはならなくなってしまったのだ
しかし、とにかくやってみよう
《まとめ》今回のアルバムは、アメリカンハードポップへの方向性わ打ち出しつつ、
ソロ・パートや要所要所に、これぞ「リッチー」をググーと出して、
あの荒々しさを削って、よりドライなロック・アルバムに仕上がった、
これは現代のマシーン・ヘッドだ。以上
谷平こういち(子供ばんど)
ヤングギター83年11月号