11/01/04 02:34:04 2cCvR7/l0 BE:769795744-2BP(3333)
池上:>>438
失礼しました。
私などはついシャウトとかスクリームとか、特に意識せずに使ってしまいますが、
これは特に何らかの定義付けされた用語として使ったわけではありません。
その「スラッシュメタルにはシャウトは無い」というのが
どんな意味合いで使われたものなのかわかりませんが、
ここでの「シャウト」は文字通りの「叫び」くらいに思ってください。
例えば幼い子供が大声で泣きながら何か言葉を発していたら、
そこにも一応音程はあるはずですが、それを「歌」とは思わないですよね。
「歌ではないシャウト」というのはそれに近い意味です。
さすがにこれは極端過ぎますが、
当時のスラッシュの「歌」はそのような感覚だったんです。
今回もダラダラ脱線しながら長くなるでしょうが、ご容赦ください(笑)
スラッシュのヴォーカルが従来のHMの「歌」とは別物だというのは、
当時においてはこれはもう特に何も意識せずとも理屈抜きで自然に持っていた感覚で、
それ以上に極端で激しいヴォーカルなども巷に溢れる今現在において聴き始めると、
なかなか違いが実感できない、
あるいはあえて区別するほどの違いとは認識しないのだと思います。
こういう話はどうでしょうか。
昔の日本では青色と緑色を強く区別していませんでした。
もちろん両者がまったく同じ色に見えていたわけではないでしょうが、
どちらも同じく「青色」と認識していたんです。
今の我々の感覚なら、濃い青と薄い青くらいの違いでしょうか。
昔の日本人と現在の日本人、両者が同じ「緑色の物」を見たら、
前者は「青い物」、後者は「青い物ではない」と別の認識をするでしょう。
昔の人は「青色」と「緑色」をあえて区別するほどの大きな違いとは認識しなかったのです。
昔と今とでは色の認識の仕方が変わってしまったということですね。
それと同様に同じスラッシュのヴォーカルを聴いても、
現在では「歌」、昔は「歌ではないもの」として、別物と認識されたということです。
時代とともに「歌」と捉えられる許容範囲が広がったんですね。 (続↓)