11/05/16 23:01:02.00 giSo2gW9
396. マンゴー先生 [sage] 05/02/28 10:29:05 ID:P4RFyQv+
>>392 元いさん
いちおう自称悟り人ですからw
でも意識は宇宙まで行かず世界までしか拡大しなかったですね。
地球の裏側までは見えました(これは気がしただけかもしれませんが)。
397. 元い [sage] 05/02/28 10:57:58 ID:WhZXcUbZ
>>396 :マンゴー先生
なかなか凄いですね、私も入我我入観・拡大をしてみたことがあります
入我我入観・縮小はしたことが無いのですが、ブラバツキー婦人の団体の中の人で
素粒子を観てきた人がいるそうです
その様に精神が自由になる段階を三昧といって良かったんですね
一寸違うのかと思っていました
398. マンゴー先生 [sage] 05/02/28 11:13:30 ID:P4RFyQv+
>>397 元いさん
いや、意識をコントロールできるのではなく「向こうから突然来る」というような感じです。
399. マンゴー先生 [sage] 05/02/28 11:17:59 ID:P4RFyQv+
三昧とは梵我一如・合一です。
ブラバツキー婦人の団体とは、神智学でしたっけ?
400. Amro ◆B0SerIzvr6 [sage] 05/02/28 11:22:20 ID:ssf+vy+s
>>370 マンゴー先生
二元性が消滅して、存在に至るということが、覚醒の重要なメルクマールになると思います。
すべてを受け容れるということによって、すべての二元性を超えることができます。
そのとき、善も無く、悪も無く、欲せられるべきものも無く、避けられるべきものも無く、
到達すべき目的地も無くなり、目的地は「今ここ」だけになります。
すべては今ここにあり、「もはや何も必要ない」という認識も起こります。
二元性を超えたパラダイムを、私は「存在」と呼んでいるのですが、
この認識においては、常にパラドックスに突き当たることに気づかれると思います。
例えば、今ここに留まるほどに前に進む、個が強まるほどに全体と調和する、完全にして不完全、不足していながら満たされている、
といったように、言葉にすると訳が分からないのですが、そのように表現するしかないです。
矛盾だと感じられる領域を超え、両者はひとつだと見ることができる認識が重要ではないかと思います。
401. マンゴー先生 [sage] 05/02/28 11:25:04 ID:P4RFyQv+
あ、でも全体との合一の前段階?に、対象との合一があります。
例えば、ろうそくの炎と合一すると、炎を大きくしたり小さくしたり出来るらしい。
これは精神が自由になる段階といっていいのかな?
こうしたことも三昧の一種なのかもしれませんね。
402. マンゴー先生 [sage] 05/02/28 11:31:55 ID:P4RFyQv+
>>400 Amroさん
おかえり~。週末は家族サービスですか?
私も夜はパソコンさせてもらえませんw
ヒンズーでは伝統的に「存在」「意識」「至高」などと呼んでいるようです。
で、存在に至るのは、クンダリニー上昇の前ですか?後ですか?