11/03/25 22:28:50.26 oz4Y/tbB
>>111 テルちゃん
今日は急に思いたって随分前に録画していたウイルスミスの『幸せのちから』見たよ
ある実業家のアメリカンドリームサクセスストーリー
功なりとげた証券会社の創業者の自伝として
ホームレスになり底までいったときとそこから足掻いて立ちあがり
夢を叶えるられる地点まで辿りついくまでの回想を描いた映画だった。
ここからは単直の見方になるんだけど
どんなに成功して富や名声栄誉をその手中に修めた人でも
晩年に豪華な邸宅とか老人ホームで死の迎えを待ちながら
自分の人生を振り返って回想するのは自分の所有することの出来た
金銭の勘定とか他を蹴落として勝ち取った栄誉とかじゃなく
そのどん底のとき自分の弱さに負けづに立ち上がったときの想い、言い換えれば
99パーセントの心の妄想を振り払い1パーセントの光明に全てを賭けれた瞬間じゃ
ないのかな?あのときあのまま無明の心のままに荒れたままになってたら
今の自分はとっくに朽ち果ててただろう、その1パーセントの光明に賭け
心のコントロールをなし得たことこそがこの人生での最上の体験だったのだと
どんなに大きな事業を起こそうと小さな家庭をつくりまっとうしようと
それは人の一生という短いスパンではそんなに対した違いはないのかも知れないね
それよりも如何にその一生の間に自分自身というものを知りえるか
その要となる心の解明にそれぞれの人間が知らず知らずのうちに自分が
惹かれる方向へ赴きそれぞれの体験をしてるのだろうね
そういう意味ではここは現在進行形でそれぞれのリアルの立ち位置で
現実に向き合い体験しながら、直接的に心の解明に取り組める
その取り組みが禅であろうとキリストであろうと密教であろうと伝統仏教、神道であろうと かまわない
手がかりが瞑想、坐禅であろうと至高体験であろうと不識(全てわからない)であろうと かまわない
共通のキーワードはどうやったら自分自身で自分の心を本来の希求している
自分自身に保てるようコントロールしていくことが出きるのかということじゃないだろうか
前になんでおれら2チャンに来て書き込むんだろうなって言ったことあるけど
それは上記みたいな思いがあるからじゃないんだろうか
なんか映画の話から単直の心の物語になっちゃったね