10/03/24 15:27:35 AIFVPA1d
>>117
>>118
ある宗教団体の方によると、「毒矢の例え」と言う寓話があるらしい。
ある男が、街の中で毒矢を射られ、それが胸に命中しました。
周囲は慌てて、「早く毒矢を抜いて、治療しなければと思いましたが、男は痛みを堪えながら、それを制止します。
「これが本当に毒矢かどうか解らぬ。この矢を抜いていいかどうかまだ解らぬ」と。
「胸に矢が刺さっているのだから、そんなことをいっている場合じゃない」と周囲は説得しますが、
「まだハッキリ解らないのに、俺は事を起こせない。それにこの矢がいつ何処から放たれたかも解らぬ。今抜けばまた飛んでくるかもしれない」
といって聞きません。
「俺は賢者だ。他の浅はかな輩とは違う。まず答えを知り、それに基づいて正しく動くことで己の身を守るのだ」
と。
そうやって考えている間にも、男には次々と疑問が涌いてきます。
「この矢を放ったのは誰だろう?」
「何が目的で俺に矢を放ったのだろう?」
「目的を持つ輩が直接矢を放ったのか、それとも誰かに頼んだのか?」
「刃物や毒を盛るのではなく、なぜ毒矢を使ったのか?」
などなど。
挙げ句の果ては。
「この毒は何の毒だろう?」
さらに、
「この木の矢は、何の木でできているのだろう?」
と、矢の材質まで問う始末。
・・そうやっているうちに、胸に刺さったままの毒矢から全身に毒が回り、結局何一つ答えを見つけることもなく、男は悶え苦しんで死にましたとさ。
おしまい。
平和池のおゆとりさんに目的がないなどとんでもない。皆明確に「同じ目的」をもっている。毒矢を抜いて、楽になりたい。
皆、もがいている。頑張っている。それなりに。
少なくとも毒矢が刺さったまま、体に毒が回っていることにも気づかず(もしくは痛みから逃げる為)、地下に逃げ込み落書きする「おくすり快楽」でその場をしのぐ俺のような「妄想基地外」に、ゆとり呼ばわりされては苦笑するしかないだろう。
もしくは出来の良い手駒であるケケ中さんのように、
「お前ら偉そうに言っても、俺みたいに金儲けもできない口だけ貧乏野郎じゃん、飢え死ぬまで吠えてろよざまあみろ」
と、地下住民含めた世の嫉妬の声の心地良さに酔いしれているか。魚を食べながら。
だから俺も自演を楽しんでいる。読んでもらえれば解るだろうが、心から。
何故なら俺には毒矢など刺さっていないから。
まだいまだに証拠や答えを追い求める「自演仲間の皆様」は、まず毒矢を抜いた方がいいだろう。
真似をしても読み手に伝わるのは痛みだけだ。そして痛みを堪えたままで俺の愉しい妄想を読んでも、己の痛みを助長させるだけだろう。