11/01/08 12:48:49
歴史的に、イスラム法学者たちは、歌舞音曲は飲酒や多神教的儀礼に繋がりジャーヒリーヤ的だ、
ていう見解が強くて(飲酒のように敬神の念を忘れてしまう行為だからというのが主な主張)、
昔から(スンナ派の四大法学派のような正統的な法学では)否定的だったから現代のイスラム
主義的な人たちはその手の復古的な言説をとっているんじゃなかろうか。
太鼓を叩いたりするのは特に問題とされていて、オスマン朝とか近代になってかなり緩和されたけど、
太鼓を叩いて浮かれ騒ぐのはアッバース朝時代とかはジャーヒリーヤ的だというので法学者の非難の
的だった。(あと、一日五回の礼拝の時刻を告げる時に太鼓を叩くのはカリフの特権だったから、
それ以外に太鼓を叩くのはカリフ権力への侵犯であるみたいな論も当時はあった)
今でも活動しているメヴレヴィー教団みたいな神秘主義教団では、例えばサマーウなどのアッラーの称名を
唱えたり宗教詩の朗誦するなど声楽や太鼓や笛などの歌舞音曲を神的合一の修行法として逆に換骨奪胎して
その手の正統教義の側からの批判に対抗したものだった、という背景があったりする。
歌舞音曲とかいうが神を称えるためだから高吟するのも立派に御利益がある行為だから文句はないだろう?
ということなんだが、オスマン朝みたいな中央アジアやイラン系の文化を持った世俗権力の強い王朝では
宗教的に叶った行為だとしてむしろその種の神秘主義教団の活動は保護されていた感じだ。