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冨士大石寺顕正会 公式ホームページ URLリンク(www.kenshokai.or.jp)
仏法と世法
仏法とは、大智恵の仏が、時間的には過去・現在・未来の三世を、空間的には宇宙法界を見極わめて覚(さと)られた、生命・生活の根本の理法である。
仏が仏法を説かれる目的はただ一つ。それは一切衆生に「成仏」を得さしめるところにある。成仏とは俗にいう?死ぬ?ことではない。成仏とは、仏が証得(しょうとく)された永遠に崩れぬ最高無上の
幸福境界である。この「成仏」を得る唯一の実践法・生活法が仏法なのである。そして仏法は国家にとっては、真の安泰を得る根本の指導原理となる。
仏法に対して、世間一般の道理・法則・現象等を「世法(せほう)」という。仏法と世法とは別なものではない。もし深く世法を見つめれば、その奥底に仏法がある。
ゆえに大聖人は「もし深く世法を識(し)れば、即ち是(こ)れ仏法なり」(開目抄)
と仰せられている。すなわち仏法は根底の理法、世法は表層の理法。仏法は全体観、世法は部分観。仏法は根本の因果を明かし、世法は枝葉(しよう)の因果にとどまるのである。
だから、たとえ世法における最善を尽くしたとしても、もし仏法に背けば、幸福はもたらされないし、国も安泰にはならない。たとえば、いかに農作技術の最善を尽くしても、太陽の恵みがなければいかなる技術も虚しくなるのと同じである。
この道理を大聖人は、個人生活に約しては次のように示されている。
「夫(そ)れ運きはまりぬれば兵法もいらず、果報つきぬれば所従(しょじゅう)もしたがはず」(四条抄)―もしその人の運命が極まってしまったら、
いかなる兵法も役に立たないし、果報が尽きてしまったら、従者までも背くようになる―と。・・・