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浜松事件出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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1941年(昭和16年)から1942年(昭和17年)にかけて静岡県浜松市で発生した大量殺人事件は、浜松連続殺人事件を参照。
1947年(昭和22年)4月に静岡県浜松市で発生した抗争事件は、浜松事件 (抗争事件)を参照。
戦後、市内の国際マーケットは在日朝鮮人が押さえていたが、
浜松の闇市は的屋の関東霊岸島桝屋一家分家(服部)がおさえていた。
県議会議員となった服部治助の跡を継いでいたのが「小野組」小野近義である。
在日朝鮮人は、在日本朝鮮人連盟の威光を背景に、地元の自治体警察である浜松市警察の介入を許さず、
禁制品を公然と売り捌いていた。
小野組の方は比較的合法な物品しか売っていなかったため、客足が奪われることになり、
小野組は朝鮮人に反感をもっていた。
1948年3月には、浜松市警の巡査が賭博の現行犯で朝鮮人を逮捕しようとしたところ、
返り討ちにあって負傷する事件が発生した。
小野組は、その巡査を救出して近くの病院に収容、
病院周辺を警護して朝鮮人の来襲を阻止するなど、一触即発の事態を迎えつつあった。