11/05/18 01:16:10.53 TeE1BeXi
いいえここは各自の妄想を垂れ流すスレです
本スレで(もうあっち見にいかなくなっちゃったなあ)
「魔法をつかうときに術者のまわりに魔法陣()が光るアニメ()とかwww
魔法円で防御するならまだしも、喚起・召喚の象徴の中心に自分がいるってwww」
ってよくバカにされてたけど、最近東洋系の術式に夢中になってて思ったこと
東洋系(気功とか仙道とか)だと「自分のまわりに気を漲らせる」っていう共通文化みたいなのがあるんだね
西洋系(とくに一神教文化圏)だと、後光がさすのは唯一神とその使いの天使たち、聖人たちだけで
凡人超人まとめた「あっち側に包括されない人間」はそういうオーラを纏うていう表現はないみたいで
アブラハムの宗教に属する一連の神秘学では、オーラ(後光、気、その他なにか神秘的なもの)を纏えるのは
「神性に浴した存在」であって、人間がそういうのを身につけるのは不遜にもほどがあると解釈されるのかな
一方の東洋系では「なにか神秘行をはじめる者が最初にすることは、身の回りに気のようなものを纏うこと」で
なにかすごいことをやるためにはまず何よりも先に気を纏って光を放つような身体になること、だと推論した
だからわりと昔から日本の漫画やアニメでは、「超常的な力を発揮する前に全身から気が立ち昇る」という
表現をとっていて、そういうのをみて育った世代はまさに記号として刷り込まれてるんだと思う
それを近代魔術をベースにしたゲームやアニメに外挿するから「魔法を唱えるときに魔法陣が出現し光り輝く」という
流れになったんだろう、と。考えちゃったわけでして
で、ホントはそこからもうちょっと突っ込んだ論考を垂れ流そうと思ったけどなんか満足したからいいや