11/02/19 06:48:57 zipXdPnQ
1965年「歌屋論争」で芸能界をにぎわした酒井政利が、2000年にまたデビ夫人を相手に「パラサイト論争」というものを巻き起こした。
酒井の言わんとするところは、才能も芸もないのにテレビででかい面するなと言うことだろうと思う。
「歌屋論争」では、流行歌は歌唱力第一ではなく、大衆の支持を受けてこそ本来の歌謡性に達したといえると大見えを切っていたが、
今度は立場が逆になってる。
バラエティーやワイドショーに出てくる人は、その時代の大衆に注目された旬の人達で、決して古典的意味で才能や芸に秀でている
人たちとは限らない。今で言えば、マングローブ、デラックス、楽しんご・・・
結局、売れたもん勝ちと言う企業の論理が、酒井のプロデューサーとしての誇りや良心をも越えて、現代では予想以上に支配的に
なっていて、さすがに、低俗で深く考えることもしない大衆の行動も社会全体から見るといい選択をしてるという大衆=神の見えざる手を
信じてた酒井も、自分が楽観的だったと反省したに違いない。このままでは芸能人の才能や芸はどこまでも軽く見られ低下してゆくという危機感。
お笑いが権力にたいして皮肉や風刺を忘れたら、ただの人の堕落した姿をさらけだしてるだけ。