10/12/22 14:38:00 AL/vInkG
★ 新証言「母・富美子さんと密会のとき」 文藝春秋五月特別号
美智子妃のご成婚前から正田家に仕えて来た澤田喜一郎氏(仮名)がいまはじめて語る。
大宅荘一のいう「格子無き牢獄」にいる美智子妃を富美子さんはただ見守るだけだったのか。
澤田氏は「そんなことはありません」とこれを否定した。
「両殿下は御忍びでよく正田家にお見えになりました。皆さんが思っている以上に
来られています。そのたびに私は『手伝いに来てくれ』と呼ばれるのです。私の
役目は、侍従とか女官の相手をすることでした。お母さまは、お二人が見えられると
ほんとにうれしそうなお顔をされていましたね。夕食はわりと中華料理が多かったと思います。
就寝時間があるのか、食事をすませると、お子様だけ先にお帰しになり、そのあと、
両殿下はゆっくりとすごされました」
美智子妃と富美子さんは思うように電話もできなかったといわれたが、婚約発表の直後、
正田家に引かれた東宮仮御所との直通電話が、ご成婚後は富美子さんの部屋に移され、
その後も使われていたという。
「お部屋にお茶を運んでいくと、お母さまがよく電話されていました。美智子様と
お話されているときはすぐわかるんです。にこにこされていますから」(お手伝いさん)
電話だけですまないときは、その足で東宮仮御所に向かった。お忍びでも。皇太子夫妻が
正田家を訪れるとなれば警察官を動員しなければならないが、富美子さんなら警護も
必要ないから東宮も気が楽だったのだろう。
3:名無しさま
10/12/22 14:38:28 AL/vInkG
「仮御所には正田家の車で行っていました。あの頃はBMWだったかな。その前は
オペルでした。仮御所へはお一人で行かれることが多いのですが、ときどき
英三郎さんと一緒のときもありました」(澤田氏)
とくに頻繁に訪れるようになるのは、浩宮を出産した頃だったという。
「赤ちゃんができると、いろいろ相談したいことがあったんじゃないでしょうか。女官には
頼めないものもあったようで、たとえば『これ、買っておいてね』と、頼まれたことも
あったようです」(澤田氏)
「軽井沢の別荘」は、お忍びでよくいらしていました。
東京にある日清製粉のテニスコートを使うこともあったという。
「社員のための施設ですが、あのテニスコートは、生垣がびっしり茂っていて、外から
見えないんです。お忍びでテニスをするにはちょうどいいんですね。殿下は
テニスをしたあと、お風呂にはいって帰られました。五、六人ほど入れる湯船でしたね」(澤田氏)
それから正田家は鎌倉にも別荘があったので、両殿下は葉山に行かれたら、帰りには鎌倉の
別荘に立ち寄られたそうです。お母さまは週末から行っておられたとか。
英三郎氏と富美子さんのお墓は鎌倉霊園にある。
4:名無しさま
10/12/22 14:43:57 AL/vInkG
アンチ東宮による週刊誌レポ。詳細は各自ご確認ください。
女性セブン(2011/01/13)皇太子さま、雅子さまを支える「正田家祖父母ぬかるみの土下座」の記憶
・12/18、10時40分頃到着した愛子さまは急ぎ足で館内へ。約1時間半スケートを楽しむ姿を笑顔で見守る皇太子ご夫妻。
・12/9、東宮御所で雅子さまの誕生日を祝う祝宴が開かれ、雅子さまの双子の妹の池田礼子さん夫妻・渋谷節子さんも出席。
・しかし祝宴は皇族の大切な行事の一つであり、また約10ヶ月ぶりに両陛下が起こしになったのだから、
妹二人は遠慮してもよいのではないか。皇太子殿下はずいぶん優しい印象(大意・宮内庁関係者)
・小和田さん夫妻がオランダにいるため、いろいろ相談に乗る池田礼子さんは雅子さまにとって側近以上の存在。
ふたりの妹さんは夏の那須静養に同行した。
・皇后陛下は成婚のとき庭に白樺の木を植え「これからはこれを私だと思ってください」
流産で葉山に静養中も富美さんは「家に帰ってきなさい」と言いたかったのをこらえて会いに行くこともしなかった。
・1965年、礼宮が誕生され、ご一家は軽井沢へご静養へ。
一度でいいから孫を抱きしめたいと思っていた正田夫妻と、偶然出会ったというようにセッティングされる。
・間もなくご一家を乗せた車が到着すると連絡を受けた正田夫妻は、前日までの雨でぬかるんでいた道路で土下座。
職員が立ち上がるように声を掛けても止めず。
・到着した車内から飛び出してきた皇太子殿下は泥に汚れた祖父母の手を取り
「私のおじいさま・おばあさまなのだから顔を上げてください」
・これは皇太子殿下にとって強烈な印象を残し、(妻の両親に)そのような思いをさせたくないのではないか。
〆は忘れました、済みません。以上です。