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名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2009/04/14(火) 13:52:43
次は 週刊女性4月28日号 短期集中連載美智子さま3大危機 その2
バッシング?宮中戦争? '93/10/20「失われた声」の真相
ちなみにその1は「聖書事件」・'63年の流産、葉山静養について。
「・・・(略)・・・しかし事実でない報道には、大きな悲しみと戸惑いを覚えます。
批判の許されない社会であってはなりませんが、事実に基づかない批判が繰り返し
許される社会であって欲しくはありません」
'93年10月20日、59歳の誕生日に発表された美智子さまの所感(宮内記者会の質問への
文書回答)である。(中略)
美智子さまはご成婚5年目('63年)の約半年の静養生活のときにも、一時
”失声症にちかい状態”だったといわれる。59歳誕生日にふたたび美智子さまを襲った
失声症・その原因となった”強い悲しみ(金沢医師)とは一体何だったのだろうか?
当時、皇室の内外では皇后美智子さまの"女帝ぶり”へのさまざまな非難の嵐が
吹き荒れ、それが一部の雑誌メディアで報道されてもいた。
皇太子時代、美智子さまについての報道は、そのほとんどが"礼賛”記事だったと
いっていい。それが皇室内で孤立状態だった美智子様にはある意味で大きな支えに
なっていたのも事実である。
「新聞、テレビはもちろん、雑誌の記事もすべて目を通されていた。なかには事実と
違ったり、批判的なものもあって、それをたいへん気になさる。
あるとき”そういうチェックはおやめになったほうが”と申し上げたんです。 ←★
あとで陛下から”浜尾君、いってくれたそうだね”といわれたこともありました」 ←★
元・東宮侍従の浜尾実さんは、のちにそう語っている。だが、皇后になられてからも、←★
この”チェック”は変わりなく続いていたようだ。 ←★
それだけに”美智子バッシング”といわれる一部の雑誌報道は美智子さまには
大きなショックだったのである。 (中略)