09/08/09 22:42:52 mvpefZDq
豊橋中央、下手だし高フェスネタでべタだけど魅力あり。学費が払えなくて退学なんて、ちょっと前なら嘘くさかったが、今はリアルに感じられる。
それだけでなく、自分たちの思いをストレートに演じようとする勢いが感じられた。芝居を楽しんでいることが客席に伝わったのも好感が持てる。
それと比較すると刈谷は理が勝ちすぎている。演技の計算は必要だし、計算されていることは心地よいが、それが見えすぎるのは却って鼻につく。
今回の舞台は、何年か前の一宮の舞台をとてもよく研究した後が見えるし、成功してもいる。特に、キャストをを机の上に乗せたりして、絵として見せる演出は群を抜いている。
ただ、それが見えすぎる。自分たちがやりたいことが何なのか、「管理された人間」の悲しみが伝わってこない。
彼らは「管理される」ことを望んでいるのではないかとすら感じられる演出ではなかったか。それも一面では真理であり得る。
しかし、理屈ではなくそこを打破したいという叫びが伝わってこない。
暗転処理を含めた芝居の構造自体や幕間での彼らの姿ににむしろ管理主義を嗅ぎ取ってしまうのは、偏差値の高くない学校のひがみであろうか。
一宮も同様。個人的に言わせてもらえば、「穴」はあるのが当たり前で、それを「哀しいこと」として神?が哀れみを持って高みの見物をしているという構図の方がまだ救われる。人は神ではないのだから。「穴」を布で具象化した演出は疑問。