08/07/09 22:49:57 pt/sA1Ug
>>119
清野和男が誤って採用された当時でも、工業科の教諭になるためには基本的に
四年制大学の工学部を卒業している必要がありました。
しかし、高度成長時代に四年制大学の工学部を卒業してわざわざ工業高校の
教諭になる人間など稀だったのです。そこで、工業教員養成所という3年制の
促成栽培コースが工学部とは別枠で設けられたわけです。
それでも、工業高専を出て実習助手にはなれても、教諭として新規採用される
ことは法律的に許されなかったはずです。そこが問題なのです。
少なくとも、清野和男はこの事実を自ら県民に公表し、教諭と実習助手の間に
ある俸給差の累積を山形県に返納するべきです。それが本当の意味で人間としての
「勇気」と「誠実」というものでしょう。