11/07/16 19:37:50.62 0
それにしても、この旧体制の右往左往振りを世に広めるきっかけとなった菅首相の見事な豹変振りには
ある意味、感心してしまうばかりだ。
それにしてもなぜ、菅首相はここまで態度を変えるにいたったのか。
実は、菅首相の豹変の陰にはある人物の存在がある。
窮地に陥った菅首相がすがった“蜘蛛の糸”の先には―
5月14日、浜岡原発の全面停止をうたった菅首相だが、それに対するアンシャンレジームからの
抵抗は想像以上のものだった。原子力政策に急ブレーキをかける浜岡原発の停止は、
首相の意向といえども、絶対に許されない。それが日本社会の現実だ。
6月2日、内閣不信任案決議提出によって、早速、追い詰められた菅首相は、即時退陣を回避するため、
「一定のめど」退陣をほのめかした。その結果、菅内閣はレームダック状態になり、マスコミは
「新聞辞令」によってすぐに後継者報道を始めた。さらに、脱原発政策でもブレーキがかかりはじめ、
6月18日には、海江田万里経済産業大臣が停止中の原発再稼動の要請を行い、
事実上、脱原発の動きはストップしたかにみえた。
ところが、追い込まれた形となった菅首相は、奇跡の延命打開策を見つけていたのだ。それは、
6月15日、ソフトバンクの孫正義社長からもたらされていた「エネルギーシフト構想」である。
すでに5月、首相官邸で会談していた二人は、この日の勉強会の席上で
改めて固い握手を交わすことで、「脱原発」で共闘することを確認したのだった。
6月28日には、菅首相はさらに態度を明らかにさせ、「次期総選挙ではエネルギー政策が最大の争点」
とアジェンダセッティングまでしてみせる。そして、7月になると、さらに菅首相は「脱原発」
の方針を旗幟鮮明にし、九州電力の玄海原発のやらせメール問題発覚を機に、
ストレステストの実施を発表し、原発政策にブレーキをかけた。さらにそれに呼応するように、
孫社長が自然エネルギー協議会の総会を開き、全国35の道府県が参加し、脱原発の動きを決定付けた。
そして、側近の多くも反対する中、菅首相は記者会見を開き、脱原発を正式に表明したのだった。
孫構想がそのまま菅首相の「脱原発」政策の骨子に
きっかけは孫正義氏の一連の動きになる。本コラムでは何度も書いたとおり、脱原発は窮地の菅首相にとって
「蜘蛛の糸」であった。その糸をたらしたのが孫社長である。4月22日、自由報道協会でエネルギーシフトの
可能性について記者会見した孫氏の構想の内容がそのまま、菅首相の「脱原発」政策の骨子になっている。
当時、孫氏は次のように説明している。
「世界的な原発の廃炉の年数は平均22年。また国際ルールでは、40年で原子炉を廃炉にしなければならない。
つまり、今後、新規に原発を造らなければ、2030年、遅くとも2050年までには脱原発を達成できる」
その代替エネルギーが自然再生エネルギーなのである。
菅首相は孫氏から垂らされた「蜘蛛の糸」に捉まり、最後の賭けにでた。その結果、原発推進の
アンシャンレジームから総攻撃を受けている。果たして原発利権に汚染された日本の社会構造の大変革は
達成できるのだろうか。菅首相と孫社長という不思議な組み合わせによる「夏の陣」はいま始まったばかりだ。
URLリンク(diamond.jp)
URLリンク(diamond.jp)