11/06/10 18:02:59.23 0
>>282
それは1925年の発表。以下その7年後の谷崎潤一郎。
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かつて大阪人の公徳心の欠如を鋭く衝いた辛らつな批評家(谷崎潤一郎)が
1932年、『中央公論』に載せた「私の見た大阪および大阪人」で前言を撤回、
自分の江戸っ子としての欠点を白状した上で、東京人が大阪を貶すのは大阪に
欠点があると云うより、自分達の都市が首都という大都会に相応しい力を
持っていないのでないかとの不安から出ていると書く。
谷崎は言う。実際には関東よりも関西の方がより日本的であり、真に日本精神を
体現しているのは大阪人ではないのか、よく議論してみる必要があると。
かつて関西での自分を他所者と書いた谷崎は、今や大阪を第2の故郷と宣言し、
自分がこれまで江戸っ子の排他主義に侵されていた事を認め、東京に叛旗を
翻すことで贖罪を図る。
かつて大阪人の下品な行動を書き立て、自分が生粋の東京人であることを
演じた彼は、今度は東京人の独善性を吹き飛ばす狙いで、大阪人の積極的
生き方の諸相を描き、大阪の緊密な近隣関係は、東京の無秩序に広がり
薄まるそれと違い、真の地域共同体の意を体している。
あの新聞を交換しあう習慣も、単にケチなのではなく、合理的効率的かつ
平等主義を表すものだ。往々にして悪く言われる大阪の知識階級は、東京の
生気のない同類とは較べようもない程、雄雄しく進歩的である、等々。