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今月18日から20日にかけて、氷見市の男性ら有志が宮城県に支援物資を届けました。
避難所には少しずつ物資が届いているとされますが、実際には全然違ったといいます。
松原勝久さん「行ってよかったというのがまず一番目の気持ちですけど」
今月18日朝、有志7人が支援物資とともに氷見市から宮城県に向かいました。
発起人の松原勝久さんが気仙沼市の友人から要請を受けたからです。
深夜にたどり着いた気仙沼高校では、その友人、坂井政行さんが待っていました。
そして、体育館の隅にあったのは…「空箱の山の状態です。本当に空箱です。あぁ、空箱や」
食料品の空箱でした。被災した11日から松原さんが到着した18日までに
この避難所への物資の供給は1回しかなく、食料品は底をついていました。
松原さん「おそらく気仙沼の体育館の方だけは(物資が)ある。
それはみなさん知っておられるんだけど、そこまでとりに行くすべがない」
翌朝、松原さんらはメンバーを半分、気仙沼市に残し、石巻市へ向かいます。
坂井さんを通じて物資の要請のあった寺を目指します。
高台にある寺はふもとの自宅で生活している被災者に物資を配る場所となっていました。
「富山県の氷見から来ました」
「氷見!?あ、炊き出しですか?」
「え?はい炊き出しで・・」
「あ、要請してもらったやつだ!」
住民から拍手が起こりました。
ここでも物資の提供は1回だけで、自宅に残った食料を持ち寄ったり流れてきた
食料を洗ったりして、みんなで少しずつ分けていたそうです。
松原さんらは水や衣服などの物資を寺に降ろしたあと、炊き出しをしにふもとへ降りました。
うどんがゆであがるまでの間、松原さんが住民に話しかけました。
「本当にみなさん大変でしたね私たちもニュースで知ってびっくりしました。
今原発も大変だし、来るのが怖い人もいるかもしれないけど」
しかし、住民が聞き返します。
「原発って何の話ですか?」。
福島県の原子力発電所の事故を知らなかったのです。
電気もガスも水道も復旧していないこの地区、給水車はこの日の朝にきたそうです。
もちろんあたたかい食事はこの時が初めてでした。
「またがんばって来ますので、がんばってください!」「はい」
このあと松原さんは気仙沼市に戻ります。
炊き出しに並ぶ被災者の服は、すべて氷見から持っていった服に着替えられていました。
持って行った服は古着ばかりでしたが、とても喜ばれたそうです。
炊き出しの列もどんどん増え、あわせておよそ5000人にうどんを振る舞いました。
松原さんと坂井さんの会話「命が助かってよかった」「何もないけど命だけはある」
体育館へ入って「みなさんおはようございます。うどんのほう、どうでしたか?」「おいしかったで~す」
「がんばってまたくるようにしますので、それまでみなさんがんばってください」「は~い!!」
松原さんは全国の知人に呼びかけ、必要な物資などの情報を交換しながら順次、被災地へ物資を送っているということです。
ソース(KNB NEWS):
URLリンク(www2.knb.ne.jp)