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「生きていたのか!」。たどりついた避難所で町民に驚かれた。
庁舎が津波の直撃を受け、安否不明になっていた宮城県南三陸町の佐藤仁町長(59)が生還した。
骨組みだけになった庁舎3階の鉄骨の上で夜を明かし、避難所にたどりついたという。
人口約1万8000の南三陸町では依然、町民約1万人と連絡が取れない。「拾った命。町民のために全力を尽くす」。
佐藤町長は13日、公務に復帰し陣頭指揮を執った。
地震が起きた11日は町議会3月定例会の最終日だった。閉会のあいさつで前々日の津波に触れ、
「引き続き災害に強いまちづくりを進めよう」と訴えている最中に、激しい揺れが襲った。
「ついに来た。宮城県沖だ」と確信。町議らとともに総合防災庁舎に移動した。津波が見えるとの連絡を受け、3階建ての
庁舎の屋上に上がった。間もなく、津波が防潮堤を超えて押し寄せた。
津波は第1波で庁舎をのみ込み、全ての壁と天井を打ち抜いた。佐藤町長の体は偶然、外の非常階段の手すりに
ぶつかって止まった。
第2波、第3波は鉄骨の上で無線アンテナなどにしがみついて耐えた。「屋上には30人ほどいたが、気が付けば8人しか
残っていなかった」
夜は雪の中、8人が鉄骨の上で、流れ着いた発泡スチロールや木っ端で火を起こし、暖を取った。
12日の朝、庁舎に絡まった漁業用ロープを使って地上に下りた。避難所に着いたのはお昼前だった。
13日、災害対策本部を設置した。場所は、町内三十数カ所の避難所で最も大きい総合体育館「ベイサイド・アリーナ」。
約1200人が身を寄せる。アリーナに限らず、どこの避難所も食料、水、毛布など全てが足りない。
佐藤町長は「生存者の情報は、全く入ってこない。状況は極めて厳しいが、町民の安否確認を急ぎ、
生活再建に向けて働く」と力を込めた。
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