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6日、今年のノーベル化学賞の共同受賞者に選ばれた根岸英一米パデュー大特別教授は、小学生時代の
2年間をソウルで過ごした。それだけに韓国に対する愛情も深い。 韓国がノーベル科学賞を受賞する
ための苦言もためらわなかった。ノーベル賞受賞の喜びがまだ続く7日午前、米インディアナ州の自宅に
いる根岸教授に1時間ほど単独電話インタビューをした。
--日本はノーベル科学賞をこれまで15人も受賞しているが、韓国ではまだ受賞者が出ていない。
その理由をどう考えるか。
「正直、それは知らなかった。 近代化の歴史の差かもしれない。日本は太平洋戦争後すぐに科学立国
のために多くの投資をしてきた。 産業も急速に発展した。 ノーベル賞を受賞できる土壌が早くから形成
された。蓄積の力だ。 しかし韓国は約30年遅かった。 それでもその速度が速いだけに、ノーベル
科学賞を受賞する条件は整った。 時間の問題だと思う」
--韓国の科学力に対する印象は。
「米国で会った韓国人の研究者は能力と素質が非常に優れている。ところが、その人たちが韓国に帰れば
大きく伸びていくことができないのをみて、率直に残念に思っていた。有能な才能を生かせない雰囲気が
あるのではないだろうか。例えば私が研究している分野に限って話せば、すぐに韓国人研究者の名前が
浮かばないのはなぜだろうか。 優秀人材に対する国家的な研究支援が必要だ。もう一つ助言するなら、
日本の場合、科学分野で多くの国策プロジェクトを推進してきた。 これを通じて発展が加速した。 韓国も
その必要がある」
--韓国に対する記憶は。
「韓国には小学3年の終わりから5年の終わりまでいた。父が旧満州鉄道の系列会社で勤めたため、
満州で生まれ、ハルビンで少年時代を過ごした。ところがその後、京城(ソウル)に移ったが、本当に
幸いだった。 ハルビンにいたなら家族全員が惨事にあっていただろう。ソウルにいたおかげで問題なく
終戦後、日本に帰ることができた。当時、ソウル城東区(ソンドング)にある小学校に通った。申し訳
ないが、学校名は憶えていない。東側に低い山のような丘があり、その麓に学校があった。 近くに川が
流れていた。毎日学校を出てから丘で土を掘り、防空壕を作って遊んだことをよく憶えている。 残念
ながら当時の友人のうち連絡を取っている人はいない。パデュー大学で会った韓国人研究者についていき、
20年ほど前、延世(ヨンセ)大学を訪問したことがある」
--ノーベル賞は狙っていたのか。
「それ自体が目標ではないが、夢の対象になるとは考えた。 研究しながら究極的にはノーベル賞が
あるという考えを視野に入れることも、いや、視野に入れることが努力を刺激すると考える」
--「利益を生む研究」をしろと主張しているが。
「利益など追わずに学問にまい進しろと主張する人もいるが、そういう人たちは志向点を低く設定して
‘自己満足’する人たちが多い。国もお金があってこそ教育および科学に投資できるように、多くの人々に
直接・間接的に利益を与え、プラスの影響を与える研究が良い研究だ。そうしてこそ良い循環ができる。
その点で個人的にはマイクロソフト(MS)のビルゲイツは革命的な人物だと思う。彼は純粋な技術的
革新という側面でも素晴らしいが、それを利益として創出した。 ‘現実にある夢のような話’を私は
羨望する。ビルゲイツは私の羨望の対象だ」
URLリンク(japanese.joins.com)